花のある暮らし & RAPT理論

カニさんの湯呑み茶碗 発見‼

10年以上前から、カニさんの湯呑み茶碗が家にありました。
なぜここにあるのか記憶にない、、焼物に彫刻があるのは珍しいなと~

2,3年ごとに食器棚の整理しますが、このかにさんの湯吞茶碗はなぜか捨てられなかった。

自分でこの蟹のデザインは絶対選ばないのだけれど、妙に愛着があって時々使っていました。

良いものでは、、と思っていました。

先日、昔の会社の上司で退職後も大変お世話になっている方のお家にお邪魔したら、

何と、かにさんの器がたくさんあるではないか~ 感動‼ びっくり‼ 私の知りたかった器がたくさん

↑↑ こちらが知り合いの持っていた器

「水月焼」 だそうです。

愛媛県の窯です。

水月焼は、好川恒方が1903年に松山の自宅に築窯し始めた窯作品です。。
動植物や山水などをモチーフとした作品を得意として、中でもアカテガニ(愛媛県では天神蟹と呼ばれるカニ)の作品は好川恒方の代表作とまで呼ばれるようになりました。
しかし1978年に好川恒方が亡くなり、奥様が継承するも後継者がおらず閉窯となっています。

↑↑ こちらが私の家にある器

私の家にある器は調べたら
玉井楽山作 天神蟹彫でした。

同じ松山の楽山焼  天神蟹彫り湯呑み茶碗でした💕
サイズ 約8センチ
箱はなくて刻印あります。

楽山焼は愛媛県松山市にある窯です。
楽山焼の歴史は古いようで、よく調べてみると
延宝6年(1678年)に松山藩の二代目藩主松平綱隆の命により倉崎権兵衛が窯場を創始したのが始まりといわれています。
その後、三代目松山藩藩主松平定長が詠んだ「あな寒し かくれ家いそげ 霜の蟹」の句に感銘を受けた権兵衛が蟹の紋様を入れるようになったそうです。
それから楽山焼には天神蟹を掘り入れられるようになりました。
楽山焼は松山藩の御庭焼でしたが、時代が明治になり廃藩置県後には民窯となりました。 その後、
三代目玉井楽山(1990年逝去)まで継承されてましたが後継者がいなく閉窯となっています。
楽山焼のほとんどの作品には天神蟹が施されいて一番の特徴です。

天神蟹をモチーフにしたのは楽山焼が始まりで、
二六焼や水月焼は楽山焼の影響を受けたのかもしれませんね。

窯元が判明してますます愛おしくなりましたね~ 大事にします💛


愛媛県で天神蟹が彫られている焼物は
松山市にある楽山焼と水月焼。
四国中央市にある二六焼。

このように愛媛では立体的に彫られた天神蟹の作品が多く作られています。
楽山焼きも水月焼も後継者がおらず閉窯となっているので天神蟹の作品は希少性が高い焼物となっているそうです。びっくり‼💕

日本茶をいただくときは、
このようにさぬき彫りの茶托も使ってお盆にのせていただきます。

亡き両親の合作

母がさぬき彫り、父が漆芸家

漆器は木の温もりがとても温かくほっこりして好きですね。

洋食器も集めていますが、木の温もりの漆器と和の土の器に癒されますね~

ツバキもそろそろ終わり

そろそろ紫陽花がきます。 茶托もアジサイに変えます~ 両親から四季折々楽しませてもらっています🩷

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