宝塚問題で神様がくださった御言葉①愛についての続きです(2024.12.24投稿)
宝塚歌劇団生の転落事故で考えた「心の拠り所」
この世にあるものは
ふらふらと揺れ動く。
そしていつかは朽ち果てる。
一つも不動のものはなく
いつかは失う。
この世のものに心の拠り所を置いていると
何か問題が起きて不安心配になり、心の拠り所が絶望的になることもある。
人間の精神は弱いもの。
自殺する場合もある。
精神を鍛える方法はない。
御言葉を学ぶ以外は強くするものはない。
心の拠り所に何か大きな問題が起きるとまともな精神状態を保てない。
昔は鬱なんてなかった。
でも今の時代、私の周りにもけっこういる。
何に頼れば良いのか。
他のもので気を紛らわせようとしても解決できない。
不動のものに頼らなければならない。
それは神様しかいない。
常に神様―の愛を感じて生きている。
これからの艱難苦難に耐えられるようにいつも見守ってくださり
生きる希望と喜びをくださる。
それに気が付いて欲しいと思います。
御言葉に辿り着きますように祈ります。
🌕朝の祈り会 2023年10月1日(日)
永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。いつか必ず朽ち果てるこの世のものに心を置くから、あなたの心も人生も安定せず、幸福を実感して生きられない。
🌕朝の祈り会 2023年9月29日(金)
神様の愛を受けられない人は、何か心の拠り所とするものを失ったとき、精神状態が崩壊するのを止めることができない。神様の愛を受けて生きる人は、何があっても精神状態をまともに保ち、常に喜びと希望に満たされて天国のような生を生きられる。(経済が崩壊するよりももっと恐ろしい裁きが、精神が崩壊するという裁きだ。)
🌕朝の祈り会 2024年8月9日(金)
ふらふらと揺れ動くこの世のものに心の拠り所を置くから、自分の心まで常にふらふらと揺れ動き、まともな精神状態を保つことができない。神様という不動の存在に心の拠り所を置いてこそ、自分の心も絶えず不動で、常に安心してこの世を生きられる。
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