花のある暮らし & RAPT理論

神様を信じている理由 ①

神様を信じている理由
車転落事故から無キズの生還

先週は甥っ子の結婚式でした😊
式場から眺める瀬戸内は穏やか
空は真っ青
海も真っ青
秋晴れの清々しい一日でした。

甥っ子の幸せを願いながら
ふと娘の事故を思い出しました。

甥っ子は娘に自分の勤務先の設計の求人募集を勧めてくれました。従兄弟同士、同じ会社に勤めていました。

4年前の信仰を始めて二年目の時、
アクセルとブレーキを踏み間違えたのか会社の駐車場から車ごと2m以上下の細い川(用水路)に落下

出勤時間で娘の車が空を飛んだという目撃者もあり、物凄い音がしてすぐに大勢の男性達が駆けつけました。

軽自動車のフロントや屋根はぺしゃんこ
ドアが開かず無理やりドアを開け救出してくれました。
その時は意識はありませんでした。
甥っ子は救急車に一緒に乗って付き添ってくれました。

事故を聞いた瞬間、全身の血の気が退くという感覚を初めて味わいました。
動揺しながら病院に行く準備をしていたら、
意識を取り戻し無キズだと連絡が入りました。
下肢を挟まれ打撲はあるも骨折や靭帯などの損傷もない。
顔の打撲で目の辺りが充血しているぐらい。
内臓も脳の検査も異常なし。
だから今晩帰宅できるという。

その晩、松葉杖をついて帰ってきました。翌日には松葉杖を返しました。

亡くなるか、後遺症が残るぐらいの事故なのに
みんな誰もが
信じられない。奇跡だ。
神様が助けてくれた、、と驚きました。

帰宅直後の全国ニュース
車止めを越え車ごと落下の死亡事故が2件流れました。
いつもテレビみないのになぜかその日はテレビがついていました。

本当に神様の見えない力を感じました。

娘は事故の記憶がありません。
娘は全く覚えてないと言います。
記憶を失ったのかと思ったけれどそうではない。

車が落ちていく恐怖がなかった。
だから直ぐに車を運転できたし、今も同じ会社に勤め、同じ場所に駐車しています。
娘の記憶も神様が失くしてくれたのかな思いました。

毎日娘の顔を見る度に神様がいることを思い感謝しています。

大きい事故や衝撃はずっと心の中に残ります。
それで大人になっても苦しむ人が沢山います。
私もそうでした。
私の小さな頃の事故のトラウマ
祈りの中で神様が助けてくださったのだと悟り、50年以上たってトラウマから解放されました。

親子とも奇跡的な事故から救ってくださった神様。
神様に頭が上がりません。
神様の存在を疑う余地は全くありません。

人間の考えや力では無理なことも、
どんな不可能なことでも、
神様が、なるといえばなる。
神様が、できるといえばできる。
と普通に思っています。

そして中心者であるラプトさんが毎日
神様の言葉を宣布してくださっています。

神様から遣わされたラプトさんは神の人です。
だからラプトさんの仰られる言葉も全て信じています。

ラプト理論に出会った頃、私は大きな問題に直面して御言葉で救われました。
睡眠時間は毎日四時ぐらいで、祈りの時間や聖書を読む時間もありませんでした。
それでも30分でも40分でも明け方の祈りの時間を作りました。

神様の存在を確信していたから信仰を止めずに続けてこれました。
信仰を止めてしまえば絶対にバチが当たる。
私は地獄に行く。
必ず神様に恩返ししなければと思って続けてきました。

子供は何よりの宝物
親より先に死ぬこと程辛いことはありません。
子供の身代わりになって自分が死んでもいいから娘を助けて欲しい。
そんな気持ちを神様は知っていたのかな。

親の知識不足でワクチンを子供に打たして
子供が亡くなったり重度の後遺症が出た話を聞くととても悲しい。
親より先に子供が死ぬことはこの世で一番辛いことです。

そして先進国で一番自殺が多いのは日本
若者の自殺が多い。
誰にも愛されてないからと思うのでしょう。
日本は信仰かないからだとラプトさんは仰られています。
神様を信じない日本はもう裁かれています。
日本は信仰心がないのが一番の欠点だと仰られています。

神様の愛を知ったら自殺しません。
たとえ人間の愛を感じられなくても
神様の愛を知ったら不幸と言う言葉がなくなります。
神様にすがり求めたら救ってくださいます。

不思議なしるしや奇跡が起こるのも信じられます。
すがり求める相手は神様以外にはいない。

ラプトさんは神様から遣わされた中心者です。
ラプトさんがいるから私たちの祈りが叶えられます。
ラプトさんがいる今だからこそ叶います。

私は神様の存在を知り確信し
本当の愛を知りました。

愛が失くなった世の中
辛い思いをしている人が沢山います。
苦しんでいる人に御言葉が届き救われますように祈ります。

神様が統治する愛と平和の世界になりますように祈ります。

🟪朝の祈り会 2022年11月6日(日)

神様に祝福された人は、神様から愛され、人からも愛され、万物からも愛される人となる。逆に神様に裁かれた人は、神様からも愛されず、人からも愛されず、万物からも愛されない人となる。(天国とはどこまでも愛され、どこまでも満たされる世界だ。)

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